歯列矯正失敗例大阪
スプリント調整顎関節症名医
by Norman Yamazaki, DDS. (Profile)
Summary: 30才の時、歯列矯正をしたが、それから噛み合わせがおかしくなり、51才になるまで、合計3回の歯列矯正をしたが、全く良くならず、挙げ句の果てには、歯医者に自分でスプリントの調整をするように言われ、自分で調整を2年もさせられたが、状況は悪くなるだけだった大阪府在住清荒神のふくちゃんがG.V. BLACK DENTAL OFFICEにたどり着き復活するまでの記録。
May 07, 2008
清荒神のふくちゃん登場
今日の一番は
清荒神(きよしこうじん)のふくちゃんでした。
初診です。
まずは自己紹介です。
*****
女性患者総代
吉澤カオリ様
おはようございます。
厚かましくもメールします事を、
どうかお許しください。
私自身もうここ以外行くべきところがない
と思っております。
私は30歳の時に、
子供の頃からの念願でありました
歯列矯正をしましたが、
今までまともに噛める事が一度も無く、
自信を持って治して頂ける歯科医に
会うことが出来ませんでした。
21年間、歯の事が頭から離れず、
このまま何も出来ず人生が
終わるのではないかと悩んでおりました。
そんな時、山崎先生のホームページを拝見し、
歯科の被害に遭った方達を引き受け
治療されている事に感銘を受けました。
患者の方の歯が良くなる度に、
私の心はほっとし、温かい感動に包まれました。
同時に、日本の歯医者に長年通っても、
ちゃんと咬める歯も作れないどころか、
健康を害し、
時間とお金の無駄であったのだとわかりました。
年齢制限を越えて居りますが、
ぜひ共、私も山崎先生の治療を
受けさせて頂きたく存じます。
しかし、残念ながら
私には会員の方の知り合いもございません。
お仕事でお忙しい中、
大変申し訳ございませんが、
吉澤様にご推薦頂けることを、
切に願っております。
以前のように健康で明るい生活に戻りたく、
どうか、お力をお貸し下さいませんでしょうか。
お願い申し上げます。
下記に、
長期にわたり治療を受けました事等質問の回答を、
出来るだけ簡潔に取りまとめましたので、
ご一読頂けますよう、
よろしくお願い申し上げます。
01.氏名
清荒神のふくちゃん
02.住所
大阪府
03.年齢
50代前半
04.職業
主婦
06.主訴
・歯の矯正で奥歯の噛み合わせが悪くなりました。
・ 普通に噛み合わせた状態で#15と#18の
山どうしのみ当たります。
・ 右側の奥歯は1本も当たりません。
・下を向くと#10と#23だけ当たります。
下顎の位置が不安定です。
・食事の時は噛み難く、
細かいものは下顎を前に出して
前歯で噛んだり左の奥歯でしか噛めません。
・食事の時に右側で噛むと後でめまいがします。
・食事中に脂汗が出たり、息苦しくなります。
口の左側から食べ物がこぼれます。
・#18から#26までが前に出ています。
・#7から#15までが前に出ています。
・唇を閉じても口の中は閉じることが出来ません。
・ 口を大きく開けると
左の顎関節がジャリと鳴ります。
・顔の左側が下がっています。
左の目の奥が引っ張られるように感じます。
・左の頬の内側を噛んでしまいます。
・首が不安定で、
下を向くと首から背中の筋が引っ張られ、
後頭部の付け根でジャリと言う音が聞こえます。
・左手に比べ右手の力が入り難いです。
07.今まで受けた治療について
幼児の頃 大阪市内の歯医者
(今は無く、名前もわかりません)に
どの歯かわかりませんが、
下の歯の虫歯の治療のため通院。
中学生の頃 大阪市内の別の歯医者
(今は無く、名前もわかりません)に
#30の根本に生えていた
小さな牙のような歯を抜いてもらい、
#30の虫歯は治療せず。
19歳頃 空港のN田歯科で
#30の虫歯治療をし、金を被せてもらう。
22歳頃 同じくN田歯科で、
左下顎のリンパ腺が腫れたため
レントゲンを撮ってもらい、
#18の根を真横に押している
完全に埋まった#17を抜歯。
O歯科大口腔外科で、
完全に埋没して歯茎の中で真横に生え、
#2と#31の根を押していた#1と#32を抜歯。
親知らずを全て抜歯すると、
中学生頃からたまに起きる
右偏頭痛と首のコリが無くなる。
26歳頃 N原歯科医院で
#2#3#8#9の虫歯治療。
#8#9の内側はレジンで繋げて1つの歯になる。
左上は今だにムキズ。
30歳頃 H田歯科で矯正を始める。
その時の歯並びは、上は#2が頬側にねじれ、
#3が内側に寄り#6と#11が外側にあり
#7と#10が少し内側にありました。
下は#22が外側前方寄りに出て、
#23が内側にへこんでいました。
#8#9の内側が繋がっているのを
ヤスリの様な物で間を開けてもらう。
5月に#21と#28を説明も無く抜かれ、
#28抜歯後に
白い汁の様な物が出たので2度通院し、
一度目は全く違う所を
トンカチのような物でたたかれました。
31歳頃 3月〜4月に
生牡蠣を食べたためにA型急性肝炎で入院。
7月に#5と#12を抜歯後矯正装置を付け
上の犬歯から動かし始めました。
33歳頃 夫の転勤で神奈川へ引越す事を告げると、
#2は頬側に#3は内側にまだ歪んだまま、
#22も少し出たままで装置を全て外されました。
上顎にワイヤの付いた取り外せる保定装置、
#20と#29に金属のバンドをはめて
内側に太いワイヤを繋げてある
外せない保定装置を付けられました。
下顎の保定装置の太いワイヤが右上がりの上に
への字に(内側から見て)歪んでいて、
#22と#23を強く外側に押すので、
#18#19#20も
一緒に前方に移動して来ました。
下顎が上顎に収まるときに
#2と#3の歪んだままの所に(右の奥へ)
滑り込んで行く様になりました。
34歳頃 下顎の装置を取ってもらうか
替えてもらわねばと、
90年4,7,10月と91年2月の計4度、
神奈川から兵庫へと通いましたが
一向に理解してもらえず、
4月に右の顎関節が
ポキポキと大きな音が鳴りました。
5月には音がしなくなり、
右顎の痛み、
右半身のだるさと口を開けるのが重くて
ほとんど開かなくなりました。
急遽、K歯科大矯正科へ行くと、
#22#23が出ているのに
下の歪みに合わせて上の保定装置の
ワイヤを曲げようかと言われましたが、
断ると口腔外科へ行くように言われ、
トランコパル・セルシン・胃薬を処方されました。
一週間後、
口腔外科で下顎全体に被せる
ゴム製のスプリントを上下の保定装置を
付けたまま付けるように言われました。
顎関節・顎の骨・背中・首などの痛みと
手の痺れで、薬も効かなくなり
起き上がれなくなりましたので、
そのスプリントは止めました。
2週間後にスプリントを替えると
言われたので行くと、
何も作っていませんでした。
顎関節症だと知らされました。
91年7月にH田歯科に
顎関節症になったと連絡し、
行くとレントゲンは撮らずに
#30のクラウンを少し削り、
その上の#3も少し削った後、
上下の型を採り咬合器で咬み合せの検査をしました。
下の装置が付いている部分で
粘土の様な物を噛んだり
咬合紙を噛んだりした後、
下の装置がいつから付いていたかを聞かれ
90年の3月下旬であると答えると、
やっと下の装置を外しました。
#22と#23の内側の歯茎を
ワイヤが強く押していた為、
血が滲んでいる様な痕が付いていました。
H田先生は私の歯型を咬合器に
付けたのを見ながら、
台湾からお見えになった先生と
英語で話されていました。
私に
「若い頃よく失敗をしました。」
と言い、
上顎にはめる薄い透明の
プラスチックのような物で出来た
スプリントを作り3万円請求されました。
神奈川へ帰り、
H田歯科でこれ以上診てもらうのが不安で、
K歯科大矯正科で相談すると、
診てもよいと言われました。
そこで、H田先生が作ったスプリントを
非常に分厚く作り変えられ
上顎に全く合わなくなりました。
K歯科大矯正科の先生
(名前をはっきりと覚えていないのですが)に、
横浜のZ歯科に行くように言われました。
35歳頃 Z歯科では、
小臼歯4本抜歯すると低くなるんだと言われ、
先生自身が歯科医師向けに書いたという本を
傍らに置き、治療をしていました。
しかし、
先生の娘さんは4本抜いて矯正したけど
何とも無いと言われたので、
話が矛盾していると思いました。
矯正をして#22と#23が前に出て
噛みにくくなったと言いましたが、
#19#20#29#30に
咬合挙上の目的で
分厚い金属を貼られました。
(92年6月26日)
帰宅後、
口を開けると左顎関節がゴリゴリと鳴り、
耳の中もシューと鳴ったり、
眼の上と背中の痛みと顎関節の辺りで
ゴムが引っ張られるような感じになりました。
4日後に電話をすると、
3日後でないと予約が取れないと言われました。
予約日まで毎日、
貼られた金属をヤスリで削らないと、
左の顎関節を含めた体の左半分が
硬直した様になり痛みが走りました。
しかし、
3日後に行き、
金属を取ってほしい
と言っても取ってくれませんでした。
毎日夜中も起きて、
貼られた金属を削っていると
7月7日に左顎関節の辺りの筋肉が
切れた様になりました。
引っ張られる感じが無くなったかと思うと、
中で出血している様な感覚がありました。
手が重く上がりにくくなり、
鉛を背中に背負っているようで
吐き気やふらつき、
階段も上がり難くなりました。
このままでは、死ぬと思いました。
すぐにでも、
貼られた金属を取ってもらいたく
電話をし予約をお願いすると、
いっぱいで7月31日も
無理して入っていると言われました。
7月31日にZ先生に懇願して、
#19#20の金属を、
8月7日に#29#30の
金属を取ってもらいました。
「元の木阿弥になるよ」
とか、
「付けてたほうがいいんですけどね。」
とZ先生は言いました。
金属を取ると
手も軽く上がるようになり、
死にそうな苦しさから
開放されました。
その後、後遺症がしばらくありました。
Z先生に、
苦しい為に夜中じゅう貼られた金属を
削っていた事を伝えると、
笑っていました。
待合室には、辛そうな若い患者さんもいました。
当然ながら、以後の予約はキャンセルしました。
36歳頃 92年8月〜93年4月
O大歯学部口腔外科でスプリント治療の効果なし。
93年5月〜6月
O大歯学部補綴科で型採りと診察のみ。
36〜38歳頃 93年6月〜95年3月
O大歯学部矯正科のT田助教授の診断で
レントゲンを見ながら、
矯正をしたら治ると長時間の説明を受け、
先生の姪も矯正をしたら
顎のおかしいのが治ったと言っていました。
MRIといろいろな検査もしました。
下顎に付けるスプリントを数ヶ月した後、
#2#3#14#15に金属のバンドを付けました。
矯正科のN田先生より承諾書
(何があっても料金は返せない等が書かれてあるもの)
にサインを求められ、
基本料金¥117008を支払うよう言われました。
93年12月20日
O大歯学部補綴科で#8#9の虫歯治療をしました。
その後、一向に矯正装置を付けることは無く、
ある日矯正科のM脇先生から
一通の封筒を渡されました。
神経をブロックしないと治療が出来ないので、
近くに移転したばかりのO大病院の神経科へ
行くように告げられました。
歯の治療が先決なのに納得し難いと言っても、
とにかく行くように言われました。
歯を動かすのに神経を遮断しないと
いけないものなのかと、不思議に思いました。
38歳頃 95年3月1日
O大病院神経精神科の待合所は、人がいっぱいでした。
私は#22#23の辺りが出ていて、
#2#3の歪んだところに
下顎が入り込むので矯正したら治ると診断され、
料金も支払い、金属のバンドも付けているので、
なぜここに来なければならないのか
解らないと言いました。
神経科の医師は、
紹介状には歯には異常が無いのに、
いろんな不具合が出ていると書いてあり、
おかしいと言われました。
私の言っている事は理路整然として解りやすく、
最近歯学部からの患者が多くて
おかしいと思っていたと言われ、
若いもう一人の先生も頷いていました。
すぐに神経科の医師は歯学部矯正科に
電話をしに出て行かれ、
担当者がいないということで戻ってこられました。
そこでは問診だけで、その後は行きませんでした。
95年3月22日
O大歯学部矯正科では、
これ以上診てもらえないと解ったので、
#2#3#14#15の金属のバンドを
外してもらいました。
その時に、矯正科の担当だったM脇・N田両先生に、
T田助教授が動かせば治ると診断したのは
間違いだったという事かと問い正すと、
何も返事をされませんでした。
料金も返してもらえないと分かり、
信じて通った自分が愚かであったと思いました。
その後、
M脇先生は廊下で待っている私の所に来られ、
「あなたの仰るとおりなんです。
個人的に相談に乗ってもいいですけど」
と言いました。
ここはもうこりごりだと感じお断りしました。
友人の紹介でK矯正歯科に相談に行くと、
O西矯正歯科を紹介され、検査の後、
手術の必要があるかもしれないと言われ、
O西先生の友人であるという
O大歯学部補綴科のM山教授を紹介されました。
その後O西矯正歯科に一旦納めた矯正料金も
返されました。
39歳頃
95年9月13日 O大歯学部補綴科のM山教授は
「この歯を動かすと治ると思うけど、
矯正はいやなんやろう。」
と一緒に歯を覗き込んでいる学生たちに
話していました。
私のカルテには
矯正を希望して料金も支払った事や、
する必要があるから無いへ変更になり、
神経科に送った事は
書かれていないと思いました。
95年11月22日
O大歯学部補綴科の先生から顎関節の骨は
異常なしと言われ、
O西先生はかみ合わせの権威であるので
、診てもらうようにと私に話しました。
しかし、
O西先生は私の様な歯を快く思わない発言を
されていたので行きませんでした。
39〜44歳頃
95年12月5日〜01年6月13日
K田歯科で歯を矯正して頂けるという事で
期待して通い始めました。
しかし、
今まで受けた治療等を説明しようとすると、
何も言わなくて良いと言われました。
私は#18は少し前にあると感じていましたが、
先生はその歯だけが
良い位置にあると仰っていました。
そこでは、
主に前の歯にゴムを掛けることが多く、
だんだんと上下の前歯から
左側が前に出てきました。
先生は奥の歯から合わせていく
と言っていたにも拘わらず、
いつまで経っても奥歯は噛み合いませんでした。
ワイヤを外したり、
結紮も歯科衛生士や若い助手の先生が
行っていました。
忙しそうで、
患者を一度に数人診ていることも多く、
先生に結紮をして頂きたいと伝えると、
こちらに対して不満を感じているようでした。
約5年半通いました
が、
結局左の奥歯#15#18のかみ合わせに
不調を来たす様になり、
食事の時に左側の口元から
食べ物がこぼれるようになりました。
先生にその事を伝えると、
怒りながら左側だけワイヤを緩められました。
その時に上の歯が前にグッと出ました。
その結果、前歯同士が全く当たらなくなりました。
助手の先生はK田先生を
矯正の最高峰であると仰っていました。
私は装置を付けたまま通うのを止めました。
45歳頃
01年6月27日〜02年8月21日
生協の歯科で週に何度か来られる
矯正のT本先生に続きをお願いし、
検査などはせずK田歯科で付けた装置のまま、
開咬になっている為、
ヘッドギアを上顎に付けたりしました。
私が#15が前の方にあるのと
#22が出ているのを伝えると、
どうして良いのか分からない様子でした。
何とか動かして頂きたいと自分で考えて、
#14と#15の間と#18と#19の間に
オープンコイルをいれ、
他の歯は動かないように
しっかり止めるようにお願いしてみました。
すると#15と#18が少し奥へ動き、
数日間で口も閉まりやすくなり
肩の張りなども楽になりました。
しかし、
「こんなん。したことが無い。」
と言われ、
それ以上は出来ないと断られました。
02年8月22日
O歯科大矯正科で診てもらう為に、
一旦装置を外さないといけないと言われました。
矯正科のH本先生に装置を外して頂き、
顎の位置を決める為に
補綴科に行くよう告げられました。
矯正科のH本先生は
「全力を尽くします。」
O下先生は
「絶対に治りますよ。」
と仰いました。
46歳頃 02年9月〜03年4月24日
O歯科大補綴科のK副院長先生に
診てもらうことになり、MRIの検査もし、
上顎にはめる透明の硬いプラスチックのような
スプリントを作られ、調整に通いました。
途中一週間ほどK先生の友人のアメリカ人の先生
(名前は分かりません)が来日されて、
その先生にも調整して頂きました。
アメリカ人の先生も苦心されている様で、
私は自分の歯の位置を
紙に書いて2人にお見せすると、
K添先生は矯正してもらうよう
自分から矯正科の先生に話しておくからと
私に話しました。
K添先生は
「アメリカ人の先生に診て貰った
数人の患者は皆成功しているけど、
あなたのはいいのを作るのに
5年くらいかかるわ。」と仰り、
アメリカ人の先生も
「I don't really know.」
と仰いました。
47〜49歳頃 03年5月9日〜05年11月9日
O歯科大矯正科のH本先生に、
K添先生から矯正してもらうようにと
言われた事を告げると、
新たに上顎にはめる不透明で薄く、
弾力性のあるプラスチックのような物で
出来たスプリントを作りました。
何度か調整をした後、
下顎が良い位置に来た様なので
スプリントを硬く固められました。
すると合わなくなりました。
高さは触っていないと言われました。
私は弾力性のあるほうが良いと言うと
新しく作り直してくれました。
H本先生はいい高さはわからないので、
家で自分で調整して来るように言われました。
先生から咬合紙と
鉛筆の先の形をしたヤスリを渡され、
良いのが出来たら電話をして下さい
と仰いました。
納得のいく高さを自分で調整するのは難しく、
何度か橋本先生に削り方を教えてもらいに
矯正科に行ったり、
病院の機械を使って自分で削った事もありました。
病院でスプリントに付ける液体と白い粉、
咬合紙、咬合紙を挟む器具も買い、
日曜大工店でガラスの彫刻に使う
小型のルーターも買いました。
下顎の位置を早く決めて
矯正してもらわなければと、
必死になって
家でひたすら
自分の歯に合うものを、
毎日朝から夜遅くまで
作っていました。
矯正科で作ってもらったスプリントは薄く、
すぐに壊れてしまいました。
補綴科のK添先生に頂いた
透明のスプリントに代えて調整をしました。
その事もH本先生に伝えました。
家族が寝てからも
早朝までスプリントを
調整する事もたびたびありました。
一方では疲れ果てて、
私はこんな事を
いつまでしなければ
いけないのだろうか・・・
と考える事もありました。
ある時、インターネットでU西先生が
プレートで健康になるというのを見ました。
H本先生にスプリントが上手く作れないので
スプリントだけU西先生に
作ってもらって良いかと尋ねました。
すると、
私にU西先生の所で診てもらいますか
と尋ねられたので、
矯正はこちらでお願いしたい
と言うとH本先生はいいですよと答えられました。
何か不安を感じ、
やはり自分で調整して、
早く矯正してもらわねばと思い、
また毎日朝から夜遅くまで
一生懸命にスプリントを
足したり削ったりを繰り返しました。
しかし、それまでに矯正科に行った時、
H本先生からは
「一生、スプリントのままの
人もいるよ。」
とか、O下先生からは
「矯正して、どうするんですか?」
と、
今さらしてもしょうがないのに
という様な言い方をされました。
当初の発言の内容とは、
180度変わっていました。
50〜51歳頃 07年7月〜10月27日
最後にO歯科大矯正科に行った日から、
ほぼ2年かかっても
完全なスプリントは出来ませんでしたが、
何とか体のバランスだけでも
取れそうな物が出来ました。
さっそく矯正科のH本先生に電話をすると
退職され、京都で開業されていると
受付の方が言いました。
先生に連絡すると
「診てもいいし、大学でも診てくれますよ。」
と言われましたが、
2年ぶりの結果を見ていただくために行きました。
結局、
「自信が無いので、O崎先生を紹介しますから、
またこちらから連絡します。
右がオープンバイトやね。」
と仰いました。
その後、連絡は無く、
こちらから連絡する気も無くなりました。
07年10月
探せば近くにあるかもしれないという微かな願いで、
N口歯科医院へ矯正の相談に行きました。
矯正科のT内先生は
「K田先生は立派な先生で、
色々されたんだと思うし、
年だから動かさないほうがいい。
M山先生に診てもらったら?」
と仰いました。
私が「M山先生?」と尋ねると、
「あちこち回ってはる先生で・・・」
と答えられました。
それは、紛れも無く、
GVBDOのHPに載っていた
M山デンタルオフィスであると思いました。
08年になり、
GVBDOのHPで大阪の六車先生を知り、
話を聞いて頂き、
山崎先生をご推薦いただきました。
現在は、
硬いスプリントは歯にあまり良くないと思い、
K田歯科でもらった
半透明の硬めのゴムの様な物で
出来ている薄いプレートを時々噛んで、
#15と#18、#10と#23が
直に当たってしまうのを防いでいます。
今までの虫歯の治療時に、
ラバーダムを使われた事は一度もありませんでした。
全歯のチャート
#01 抜歯してありません
#02 アマルガム
#03 アマルガム
#04 無傷
#05 抜歯してありません
#06 無傷
#07 無傷
#08 レジン#09 レジン
#10 無傷
#11 無傷
#12 抜歯してありません
#13 無傷
#14 無傷
#15 無傷
#16 生えていません
#17 抜歯してありません
#18 アマルガム
#19 アマルガム
#20 無傷
#21 抜歯してありません
#22 無傷
#23 無傷
#24 無傷#25 無傷
#26 無傷
#27 無傷
#28 抜歯してありません
#29 無傷
#30 クラウン、こんち
#31 アマルガム
#32 抜歯してありません
08 現在の健康状態について
主訴の症状と血圧が少し低めです。
09 常用している薬はありますか?
ありません。
10 今までに入院するような病気、ケガをしたことがありますか?
31歳の時に生牡蠣を食べてA型急性肝炎に罹り
50日間入院し、完治致しました。
11 あなたは禁煙をいつから続けていますか?また飲酒の量はどの程度ですか?
喫煙は一度もした事はありません。
お酒はめったに飲みません。
お正月のお屠蘇程度です。
12 GVBDOのHPはいつ頃から閲覧をはじめましたか?
2007年7月頃からです。
13 書籍「ほんとうの治療」はいつ購入しましたか?
2007年11月です。
14 書籍「ほんとうの治療」を読んでどの様に感じましたか?
いろんな歯を治せないのは、
それを教えられる人がいないのと、
日本の保険制度に問題がある為だと思いました。
歯科医療の改革は、
日本人の健康の為に
何よりも優先すべきもの
であると思いました。
15 GVBDOで治療を受けるとあなたの治療費はどのくらいになり、予約の回数は何回くらい必要になると思いますか?
x00万〜x00万円位かかり、x0回位必要でしょうか。
16 GVBDOでの歯の治療が終了して復活を遂げた時、あなたはどんな生活をしていると思いますか?
自分の歯でよく噛め、健康である事に日々感謝し、
長い間心配をしてくれた家族と友人、
そして私自身の未来の為にも、
元気に働いていると思います。
以上です。
長くなりましたが、
最後まで読んで頂きまして有難うございました。
ぜひ、山崎先生に治療して頂き、
元のように元気になることを願っております。
どうか、宜しくご推薦の程、
重ねてお願い申し上げます。
ふくちゃん拝
*****
Norman Yamazaki, DDS. says:
清荒神のふくちゃんのハンドルの由来は
兵庫県宝塚市にある
真言三宝宗の大本山である清荒神清澄寺
(きよしこうじん せいちょうじ)
に由来しています。
摂津国八十八箇所第72番。
清荒神のふくちゃんは
自分のおかしくなった歯を治しと欲しいと、
清荒神に願をかけに通ったのだそうです。
そしてその神様の霊験のおかげで
G.V. BLACK DENTAL OFFICEに
たどり着くことができたのだそうです。
ということで、霊験あらたかな神様に導かれた
G.V. BLACK DENTAL OFFICEでの治療は、
修復治療14回
歯列矯正30回
で終了します。
G.V. BLACK DENTAL OFFICEでは普通に始まり、
普通に終わる治療です。
虫歯を1度治したら
2度と虫歯にならない
そんな治療が出来るデンティストにとっては、簡単な症例
に入ることはあっても、
清荒神のふくちゃんが
これから何十年も悩むような
難症例に入るようなケースではありません。
日本の歯医者さんに行くと
何でこうなるの?
それが清荒神のふくちゃんの精密検査をした後に、
私の持った感想です。
従って、清荒神のふくちゃんが、
今後みっちゃんのように元気になれることは、
ほぼ確定的なのですが、
そのために清荒神のふくちゃんが
やらなければならないのは、
G.V. BLACK DENTAL OFFICE
の指示した通りの管理をする!
という、その一点にかかっていますので、
がんばるように。
日本の歯医者さんでは永遠に治らないことが、
G.V. BLACK DENTAL OFFICEでは
あまりにも簡単に治るので
拍子抜けしそうな気がしていますが、
清荒神さまと神農さまへのお礼参りは忘れずに。
治療をがんばろう!(^^)ノ
Welcome to G.V. BLACK DENTAL OFFICE.
Norman Yamazaki, DDS.
初診 投稿者:清荒神のふくちゃん 投稿日:2008年 5月 8日(木)18時12分2秒 返信
昨日は、ワクワクドキドキしながら
伺わせて頂きました。
先生は、気さくに話しかけて下さり、
安心して診察を受けることが出来ました。
プロフィーをして頂き、歯磨き指導、
NGも早速作って下さいました。
帰路の途中、
体がとても楽になっていくのを
感じることが出来ました。
嬉しくて、言葉に出来ないくらいです。
山崎先生、スタッフの皆様、
昨日は本当にありがとうございました。
また、治療の際には色々とお世話になりますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。
メールの投稿者の名前が
間違えて記入されていました。
大変失礼しました。
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